合気における本当の上達とは ― 調和と自己観察の道

神戸にある「わたのワ」様主催「武道とは?」というテーマでセミナーが2025年6月開催されました。

その中で合気について古門英文先生(メビウス練功法)のお話の要約です。

右側が古門英文先生
■ はじめに ― 合気を語る立場として
私は合気道の指導者ではありませんが、外側から見聞きしてきたこと、
そして他の武道や身体文化の体験をもとに、合気における「上達」とは何かについて
考察してみたいと思います。
■ 合気とは、自分自身を深く知る道
合気の修練は、まず何よりも 自分自身の身体と意識を深く観察し、整えていく行為ではないでしょうか。
身体については、不調や意識が向きにくい部分を丁寧にメンテナンスし、
本来備わっている機能が滞りなく働くよう、繊細に整えていく必要があるように見受けられます。
その「繊細さ」とは、力任せな動きではなく、茶道や書道の所作のような
静かで洗練された美しさに通じるものがあるようです。
■ 意識の整え ― 波立たぬ心を目指して
意識の面では、感情や本能的な反応を客観的に観察し、
心の内側に起こる波風が静まった状態を保つことが求められるのかもしれません。
そこには、冷静かつ的確に自己を見つめ続ける姿勢が大切にされているように感じられます。
■ 衝突を避け、空間に調和をもたらす技
合気における技は、相手と直接的にぶつかることなく、
争いや緊張が自然に消えていくような空間づくりを目指しているようです。
そのため、動きや意識の方向性には、争わずに整える意志が根底にあるように思われます。
■ 稽古は「内なる対話」の場でもある
相手との稽古を通じて、身体操作や意識の微細な変化を感じ取りながら、
自分の内側に生じる反応に気づいていく。
この過程は、単なる技の反復ではなく、自他の関係性の中で自己を問い直す作業とも
言えるのではないでしょうか。
■ 自他共栄という本質へ
あらゆる場面で争いを避け、相手を拒まず、空間全体に調和を生み出す。
そのような在り方を通じて、自分自身が“自他共栄”の一部として機能することが、
合気の本質の一つに見えてきます。
調和の感覚が深まっていくこと。それが、合気における上達の一つのあり方として捉えられるかもしれません。
■ 信じる心と見極める目
ただし、こうした精神性を伴う修行には注意点もあります。
目的を見誤ることで、集団的な幻想や依存的な関係性に陥る危うさも潜んでいるからです。
だからこそ、常に自分自身や指導者を冷静に見極める視点、
そして 信じすぎず見抜く力と、謙虚さを併せ持つことが欠かせないように思われます。
■ 武道に共通する「上達とは」
こうした考え方は、合気に限らず、多くの武道にも共通する「上達とは何か」という本質的な問いに
通じています。
自己を深く知り、他者と調和しながら心と身体を整えていくこと。
その道のりこそが、武道を通じて得られる成長であり、
生き方そのものに重なるものなのかもしれません。